アナウンス:

遊栄様が最初にお書きになった小説「女の子の作法」→私が書かせていただいた「赤毛猟師の反論」→そしてこの小説という、続きものになっております。

興味を持たれた方は、ぜひそちらもご覧くださいませ♪

 

 

 

 

出歯亀つ、口つ。

 

 

 

 

 

さて、どうしたもんか。

部屋の前まで来て、リッドは一旦足を止める。

手にはジュディスから託されたリップクリーム。

それを手の中で転がしながら、ファラの顔を思い浮かべる。

戻るまでには対策を完成させようと思っていたのに、自室はあまりに近かった。

仕方がないので扉の脇に背を預け、計画を練る。

普通に渡せばいいだけだろうと端から見れば言われるだろうが、それは博打に近い。

なにせファラは、あれだけ分かり易い挙動をしておいて、リッドに唇のケアをしていることを隠しているつもりらしかった。

まあ、理由を考えれば気持ちは分かる。

キスする時に困らないように、なんて、あのファラが躊躇わない訳がない。

そんな躊躇自体が本来いらないものなのだと気付いてくれるのに、一体どれだけの時間がかかることやら。

ふとそんなことを思って、リッドは遠い目をした。

無論、自分はそれを見守っていくし、ファラの負担にならない程度に促していくつもりではある。

ただ道のりの険しさに、一時の溜息を抑えられなかった。

そんな時に、扉が音を立てて開く。

 

「あ」

 

緑の髪が揺れ、大きな茶色の目がびっくりしたように見開かれた。

視線が交わって、実に三日ぶりにリッドはファラの目を真っ直ぐに見る。

しかし、そんな時間は一瞬で過ぎ去って、ファラはパっと目を逸らした。

深く俯いて、身長差のあるリッドからは緑のつむじしか見えなくなる。

それに強い寂寥を覚えて、自分でも驚く程気持ちが沈むのを感じた。

後ろから出て来たメルディとキールに手振りでファラを借りることを伝えると、ざっと周囲を確認する。

幸い、誰か来る気配はない。

足早に去ろうとするのを堪えるように拳を握ったファラを、取り合えず扉の前から移動させた。

 

「ファラ」

 

呼びかけると、ファラは身体を揺らした。

何、と呟く姿は、あの元気娘と同一人物とは思えない。

それだけ、彼女にとってリッドは心揺らす存在であるということなのだろう。

それは嬉しくもあり、他人行儀な気持ちもあり。

初々しく恋人らしい姿を見せるファラを愛しく思う反面、以前の方が距離が近かったようにも思えて空しくもなった。

これだけ一緒にいるというのに、ファラはまだ自分の知らない顔、知らない感情を突きつけてくる。

一つ視線を逸らして、リッドはリップクリームを握り直す。

思考を巡らせていても仕方がない。リッドはおもむろに話を切り出した。

 

「さっきジュディスに会った」

「え」

 

ジュディスの名前を出した途端、顔を上げたファラの頬が染まる。

再び視線が合って、彼女は慌てたように目を泳がせた。

…そんな顔するからからかわれるし、こっちだってつい邪な考えが浮かんでしまうのだが。言っても多分分かってくれないだろう。

溜息を呑み込んで、リップクリームを差し出した。

突きつけられたそれに、ファラはきょとんとする。

受け取ったファラを見下ろして、リッドは考えていた台詞を口にした。

 

「このリップクリーム、お前に使って欲しいんだとよ」

 

キール辺りが聞けば陳腐極まりないと言うだろうが、ファラが唇のケアをしている点には触れずにジュディスの台詞だけ述べる作戦をリッドは取った。

最初は「なんだか知らねえけど渡された」と言おうと思ったが、ファラの性格からして後からジュディスに礼を言いに行くのは間違いない。

その時に―――和解した後だから言わないかも知れないが―――「貴方の彼に怒られたの」などと言われた日には、嘘つきと罵られるのは必至である。

かと言って「最近気にしてるみてえだから」と事実を突けば、踏んだ地雷で星の彼方まで吹き飛びかねない。

どちらも、この妙なギクシャク感を加速させるだけである。どう考えても御免被りたかった。

それ以上は何も言わないリッドに、ファラは一瞬困った顔をする。

自分は遠慮なく他人に物をあげる癖に、ファラは貰うのには慣れていない。

しかも、リッドは敢えて口にしなかったが、見るからに高級そうな代物だ。

手の平でリップクリームを転がしてから、ファラはリッドの目から5cmくらい離れた所を見つめる。

それくらいならこっち見ろと言いたくなる気持ちを、ぐっと堪えた。

 

「いいのかな、貰っちゃって」

「いいんじゃねえのか? くれるっつってんだから」

 

出来得る限りそっけない口調で、けれど「真剣に考えてよ」と言われない程度に気を向けた声色を出す。

ファラは暫しリップクリームを見つめて、そっと唇に指を当てた。

それは多分、無意識の行動だったのだろう。

その仕草がびっくりする程女らしくて、リッドは暫し呆然とする。

絶句している間に、ファラは結論を出したようだった。

 

「じゃあ…有難く貰っちゃおう、かな?」

 

そして、嬉しそうにはにかむ。

宝物のようにリップクリームを見つめて、笑顔を浮かべた。

そんなファラを前にして、勘弁してくれ、と頭の中で肩を落とす自分がいる。

部屋の中で話し合えばよかったと心底後悔した。

同時に、外でよかったとほっとする。

やっと仲直り()出来そうなのに、ここで手を出したら水の泡になりかねなかった。

だから、思わず動きそうになった手を止める原因となった姿を無表情に見る。

黒一色の男が、笑いを堪える表情でこちらに歩いて来ていた。

空気を読んでいなさそうで読んでいる男に、軽く手を上げる。

それで気付いたらしいファラが、振り返った。

 

「ユーリ、部屋に戻るの?」

「ああ、依頼も一段落ついたんでな」

 

ぽんと鞘で肩を叩き、ユーリはリッドを一瞥する。

その視線に込められた色に、げんなりした。

パフェで貸し借りなし。そういう事らしい。

わーったよと睨み返すリッドに口の端を上げて、ユーリは去って行った。

そして、気付かなくていい所ばかり気付いてしまうのが幼馴染というものである。

リッドの憮然とした空気を察したらしいファラが、眉を寄せた。

 

「リッド、どうしたの?」

「なんでもねえよ」

 

手をひらひら振って惚けると、むっとした表情が返って来る。

直ぐに来るだろう反論を封じるために、リッドはパっとファラの顔を覗き込んだ。

途端、ファラは飛び退く。

それに若干傷つきながらも、体勢を立て直される前に口を開いた。

 

「じゃ、確かに渡したからな」

 

まだ顔が赤いファラを横目で見つつ、その場を立ち去る。

根本的には解決していないのだが、少なくともジュディスとの件はこれで完全に片がついた筈だ。

ファラとて人の気遣いや気配りには鋭い。

ジュディスの想いを汲み取って、巧く昇華してくれるだろう。

歩きながら伸びをして、リッドは少し前から感じていた曲がり角の気配に目を向ける。

 

「リッどんってば紳士〜」

 

完全に出歯亀のノーマが、実に楽しそうな顔をしてそこにいた。

 

…この船の人間は、他にすることねえのか?

 

吹き荒ぶような視線を向けたリッドに、ノーマがむきーと声を上げた。

猿かよお前。呑み込んだ自分は多分賢い。

 

 

 

 

 

 

受け取り:2012819

 

 

小説ページへ戻る