『ほしいもの』
−本当に欲しいものに限って手に入らない。−
誰かが言っていた言葉だ。どこの誰が言っていたかなんてもう覚えてないけど、それでもこの言葉は真実だと思う。
無情な現実は多くを望んでない俺からも大切なものを容赦なく奪い去っていった。だから、もう期待しなかった。今のままで十分なんだと無理矢理頭の中で納得して、これ以上大切なものを奪われないように必死に足掻いていたんだ。
バンエルティア号でセレスティアに行って、キールやメルディを始め世話になった奴の安否も無事に確認できた。シルエシカでもシゼルの野望を打ち砕いたということでちょっとした催し物を開いてもらい、その後もメルディの家で4人楽しく過ごした。
だからっていつまでもメルディの家に留まっている訳にも行かない。俺にもファラにも元の生活があるんだから。
キールの奴はこのままセレスティアで生活すると言い出した。本人曰く、「セレスティアの文明は未だインフェリアでは解明されてない多くの技術がある。だから、僕はそのすべての知識を探求して…」とかぐちゃぐちゃ訳の分からないことを口にしていた。でも、そう話すキールの顔は真っ赤で、隣で笑うメルディの横顔がいつも以上に輝いている。誰が言わずともメルディの側にいたいからセレスティアに残るということはバレバレだった。
まぁ、そんなキールを残してインフェリアに無事帰ってきたわけだけど、近くまで送り届けると言ってくれたチャットの好意を断ってミンツで降ろしてもらった。ラシュアンがある大陸は地形が隆起していて、とてもじゃないがこのでっかいバンエルティア号の船体では近づける距離は高が知れている。それに、これからチャットはセレスティアに行ったまま帰って来られなかったインフェリア人を連れて帰ってくる仕事もある。わざわざ手間をかけさせることもない。俺達はミンツで降りて、そのまま徒歩でラシュアンを目指した。
問題なのは、ここからだった。
俺達の足なら一日半歩けば着いただろうが、なにせセレスティアのお土産だというファラの荷物が半端ない。ようやく川まで差し掛かったところで日が沈んできてしまったので、今日はここにテントを張って野宿する予定だ。晩飯もファラが作ってくれたのを食い終わってやることもなくなってしまった。いつもよりも遅いペースに明日も野宿かとテントの中で寝転がりながら思案していると、ファラが気まずそうにため息をついた。
おいおい、これで何回目だよ。
何も、俺達の周りで変わったのはキールだけではない。セレスティアに行ってやっと自分の心の内を自覚したと言う少女は、チャットと別れてから二人きり言葉数が少なくなった。正直、こいつの態度に今さらだと思うし、あからさま過ぎだとも思う。料理を作り、後片付けも早々に終わってしまってファラもやることがないのか、気まずそうにテントの隅に座っている。
「こういうときに限って、意識すんなよな。」
そんなファラを逆にこっちが見てられなくてそう言葉を発すると、弾かれたようにファラは顔を上げる。
「な、なによ!」
俺の言葉に顔をムッとしながらも、頬に朱が差しているのはどうにもできなかったらしい。そんな顏で睨んでくるファラに、俺がため息をつきたくなる。
「だから、普段通りにしてろって言ってんだよ。別にいつもと変らねぇだろ?」
そう諭しても、ファラの熱はさらに上がっただけだった。怒りの感情ももう一つの感情もどっちも。
「いつもと変わらない?リッド何言ってるの、全然違うじゃない!いつもはキールやメルディが一緒だったけど、今日は二人きりでこのテントで寝るんだよ!?リッドは気にしてないかもしれないけど、私は気になるの!!」
そうさらに目を吊り上げて言ってくる幼馴染に、もう呆れ返るしかなかった。それとも逆にこういうことに意識できるようになっただけでも感心すべきなのかと疑問すら浮かぶ。
「インフェリアじゃ、こういう時寝るのは別々だもんな。」
「分かってるなら…」
「じゃあ、俺にテントの外で寝ろって言いたいのか?それとも先に1人でラシュアンに帰って自分の家のベッドで寝たいか?」
ファラが言い終える前にこの状態の解決策を問いただすと、彼女はそれっきり口籠ってしまった。分かってる、ファラがどちらも望んでないことぐらい。
大体、今日野宿になったのはファラのせいでもある。ミンツを着いたのが正午を少し過ぎた頃で、セレスティアから帰ってきた疲れもあり珍しく幼馴染の体を気遣って、今日は宿屋に泊まろうと言い出したのは自分だった。けど、おばさんの畑が心配だと、俺の提案を一蹴してそのままラシュアンの帰路を急いだのは他でもない彼女。バンエルティア号で運ぶには問題なかったセレスティアのお土産が入った大荷物も徒歩には邪魔なだけで、現に手荷物をほとんど持っていなかった俺が大部分の荷物を持たされたのは言うまでもない。
そんなこんなで少なからずファラは俺に対して罪悪感を持っているのだ。そんな状態の彼女が俺にテントの外で野宿しろと言えるはずもない。ましてやラシュアンに先に帰る選択肢など考えてもいなかっただろう。
それに「分かってるなら…」の後にファラが言いたかった言葉も予測がつく。「少しくらい気を使って」というようなことを言いたかったんだろう。けれど、それこそファラが分かってないから言える言葉だ。俺だってこの状況が気にならないわけがない。気になるからこそ、わざと気づかない振りをしていつも通りに振舞おうとしているだけだ。なのに、この少女と来たら突然でいつも無鉄砲だ。セレスティアで自分の気持ちを自覚したと言うときさえも、無鉄砲で無防備だった…。
新月の日だった。少し騒ぎ疲れてメルディから借りた一室で爆睡していた俺に、来訪者が訪れる。
「リッド、起きてる?」
控えめなノック音と共に小さく呼びかけられて俺の意識は一気に覚醒する。いつもと違う布団の感覚に違和感を覚えながらも、ベッドから抜け出すとドアに向かう。
「ファラか?」
ドアの向こうの人物を確かめるようにそう聞くと、後から頷く声が聞こえた。おかしい。インフェリアじゃ、夜中に人の寝室を訪れるのは非常識な行為だ。そりゃ小さい頃はこんなことしょっちゅうで、ベッドを抜け出しては夜の冒険に出かけて怒られたこともあったけど。でも、今は俺もファラも子供じゃない。共に大きくなった彼女がそういう行動を取るのは珍しいことだった。しかし、それよりも気がかりなのは頷くファラの声がいつもと違うことだ。
急いでドアを開ける。そこにいたのは俺の大好きな笑顔を浮かべた彼女ではなく、少し赤く目を腫らしているどこか心細そうなファラだった。
泣いているのか?
そう問いかけることはできなかった。「ファラ…。」と、大丈夫か?という意味合いを含ませる声で呼びかけることしかできない。その気持ちが伝わったのか、俺の呼びかけに反応してファラは薄く笑うと、部屋の中に入ってそっとドアを閉じる。
明かりも灯っていない薄暗い部屋の中で、俺の名前を呼んで今度こそ笑った顔は、泣いた痕はあっても本物の笑顔だった。真摯に見つめてくる瞳に引き込まれそうになりながらも、それだけでは言い表せない心情を補うかのようにファラは言葉を紡ぐ。
「私、リッドのことどう想っていたか気付いたから。」
嬉しそうに笑ってそう一言だけ俺に告げると、軽く俺の腰の辺りに抱きついた。それまで黙ってファラの様子を見守っていた俺は、事態が飲み込めなかった。やっと我に返って状況を理解した後の俺ができたことと言えば、胸の前にあるファラの頭をそっと撫でて彼女の名前を口にするぐらいだった。
そんな一夜があった後も、俺はそのことをどこか他人事のように捉えていた。今だって夢なんじゃないかと思う。でも、現実のことだと自覚できるのはファラと俺の関係―いや、ファラの態度がその日以来変わったことだ。みんなといる時は、二人でいることを望むような行動を取るくせに、いざ二人きりになると不自然極まりない会話とセルシウスに凍らされてしまったかのように強張ってピクリとも体を動かさないでいる。だからと言って、そんなファラを見てこっちが動揺するわけにもいかなかった。伊達に幼馴染をやってきたわけじゃない。表情や仕種だけで、自分の考えていることを相手に伝えてしまうのだ、お互いに。
セレスティアから出発してからこっちずっとファラとそんな状態が続いていたから、どうにかこの状況を払拭したかった。別に、こんな態度を取ってしまうファラが嫌だというわけではない。少なからず自覚してくれたことは、俺にとっては嬉しいことなのだ。けど、こんな風に接せられると少しむず痒くて居た堪れない気持ちにもなるのも事実だった。
「大体、今更なんだよ。」
吐息とともに諦めを帯びた声で言うと、ファラが分からないと問いたげな目で訴えてくる。無言の視線に先を促されると、俺は続けた。
「村に帰ってきた後だって、俺が起きた時には当たり前のように俺の家にいるだろ?」
「そ、それは、リッドの朝御飯作りに来てるんだもん!リッドが起きてくるのが遅いから悪いんでしょ?!それともご飯いらないの?」
宥めて説得するつもりが、逆にファラの怒りを買ってしまったらしい。慌てて訂正に入る。ファラの飯は絶対ほしい。
「いや、飯作ってくれんのはすごい有難いんだけどよ。俺が言いたいのはそういうことじゃなくって…」
「じゃあ、どういう意味よ!」
「よ、夜とか!お前いっつも俺が家に送り届けなきゃいけない時間帯まで俺の家にいるじゃねぇか。」
さすがにこれにはファラも一瞬言葉に詰まる。
「…だって、なんだか寂しいんだもん。それに近いんだから送ってくれなくてもいいっていつも言ってるのに!」
寂しい、というのは俺も分かる気がした。旅に出る前は1人が当たり前だった生活も、周りにファラがいて、仲間がいた旅の後では違和感すら感じた。それはきっとファラも一緒なんだろう。俺だって逆に、ファラが俺の家に来ない時の方が変に感じる始末だ。だからってそれを咎めたわけでもない。話が少し脱線してきたなと思いつつも、この無鉄砲少女には伝えなければならないと彼女に話の矛先を合わせる。
「あのな、それはいつも言ってるだろ。あんな辺境の村でもファラを夜遅くに一人で家に帰させるのはいろんな意味で怖いって。」
「なによそれ!私強いし、問題ないもん!!」
自信満々にそう言ってくる彼女に、だからだ、とすかさず口を挟む。
「それが怖いんだよ!もし何かあったら真夜中でも構わず首突っ込むだろ?ずっと家でそういう心配してるくらいなら、俺がちゃんと家まで送り届けたほうがよっぽど安心できる!」
「分かんない!!」
「分かるだろうが!!」
「「……。」」
お互い最後は怒鳴り口調になって、最近では滅多にしていなかった大喧嘩に俺もファラも口を噤む。ファラは口を尖らせながら俺からそっぽを向いた。最近不自然だった自分達だったから、なんだかその感じが懐かしくなって、それを見て俺の怒りは一気に飛散していった。
「…怒鳴ったりした悪かった。」
「…。」
そう少し経った後に謝ると、ファラも少し拗ねているだけのような表情になった。
「俺は言いたかったのは、旅が終わった後だって二人きりでいることが多かっただろ?そん時と今と何も変わらないだろってそう言いたかったんだ。」
さっきよりも落ち着いた声でそうファラに言うと、彼女は今の状況を自分で思い出してしまったのかまた縮こまってしまった。
「変わってるもん。」
俺にやっと聞こえるくらいの小さい声でそういうものだから、さっきの喧嘩のことでまだ拗ねているのかとファラの方を窺うと、彼女はいたって真剣だった。少し重い腰を上げて立ち上がると、俺はファラの前でストンッと腰を下ろす。
「どこが変わってるんだ?」
ファラが話しやすいように囁くように問いかけると、彼女は口を開く。
「私の気持ちは…、変わってるもん。」
一瞬言葉が喉から出なかった。
「分かった、分かった。心配しなくても何もしないから安心しろよ。そう言えば、安心するんだろ?」
そういつものように取り繕って面倒臭そうにそう答えると、ファラは驚いたように顔を上げる。これでいつものファラの笑顔が見れるんだと思ってた。いつもの自分達の関係に戻れるんだと信じきっていた。でも、俺に見せたファラは今にも泣きそうな顔をしていて、それに思わずぎょっとする。
「フ、ファラ?」
「リッド、…やっぱり何も分かってない!!」
そう涙が混じったような声で叫ぶファラに、俺はなす術を失った。
「リッドがね、隣にいてくれると嬉しいの。自分をちゃんと取り戻してありのままでいられるのはね、リッドのお陰なんだよ。…私リッドのことどう感じてるか、認めるのが嫌だった。だって私はリッドのお父さんを殺しちゃったから…。またリッドを不幸な目に合わせるといけないから、だから認めるのが怖かった。…それでもね、私リッドの側にい…た…、痛いよ、リッド。」
弱弱しく涙声で俺に気持ちを伝えてきたファラを、気づかないうちに俺は抱き締めていた。
ごめん、全部言わせようとして。セレスティアで伝えてきてくれた温もりが、何よりも俺に気持ちを伝えてきてくれたはずなのに。分かっていた、ファラがちゃんと自分の痛い部分まで気持ちを自覚してくれたことぐらい。なのに、それを認められなかったのは俺だった。俺も怖かったんだ。本当に失いたくないものが何か認めるのが。今までを変えたくないと思っていたものが、何から来ていたかなんて認めたくなかったんだ。認めたら、それまで奪われそうな気がして。…だって、俺にはそれしかないんだから。
俺はどうしても目頭が熱くなるのが抑えられなくて、必死にファラの肩に顔を埋めた。
「ねぇ、リッド…。私の気持ちちゃんと伝わった?」
今こうしてファラと一緒にいられる時間が何よりも幸せだとか、俺だってずっと同じ気持ちだったんだとか、何年間もお前のこと見守ってきたんだぞ、とか言い返してやりたいことは山ほどある。
けど、込み上げてくる感情が邪魔をして、そう気遣わしげに聞いてくるファラにもちゃんと答えられそうもない。
「…おまえ、気付くの遅すぎ。」
やっと時間が経ってから必死に絞り出せた声で言えたことは、そんな言葉だった。
あとがき:
あ――――――!!(叫び)リッドの気持ちの70%も表現できませんでした(爆)
これだからスランプ時の文は嫌だと思います。もう努力しかありませんね。(後日修正できたらいいです←希望的観測)
さてさて、今回の小説は、元がすごく甘ったるかったものを練り直したので、今回のコンセプトは想い的にはかなり両想い(ラブラブ)に近いのに、甘さを感じさせないリファラです。本当は抱き合うシーンさえカットするつもりでしたが、さすがにそれは無理でした。
ファラの心情描写があまり描けませんでしたが、分かって頂けたでしょうか。いくらファラのことについてはほとんどのことについて気心知れているリッドでも、乙女心までは理解できなかったということです、簡単に言いますとね。
これは時間軸的に続き物とは繋がらないですし、こんな感じで二人をくっつける気もないです。まったく別のお話と捉えていただければいいと思っています。
執筆:2007年9月29日