『持ちモノ嫌いな姫君に』

 

 

「ユーリ!!」

息を切らしながら俺のところまで駆け寄ってきたお姫様は、いつもののほほんとした雰囲気はどこへやら、くりりとした可愛い丸い瞳を一生懸命吊り上げて、そして手にしている剣を胸の前で硬く握り締めている。ユーリに物申したいことがありますと、そのまま顔に書いて来たようなエステルに、これから想像できる事態にこっそりとため息をついた。

「で、どうしたんだ、エステル?」

いつもの通り余裕の微笑を湛えてエステルに問いかけると、彼女は直前までの自分の行動を忘れたかのように俺の顔を見て一瞬呆けた。それも束の間の表情の変化で、エステルは用件を思い出すと、眉を吊り上げて怒った顔を懸命に作る。普段から怒った顔を見せることが少ないためか、迫力も怖さもあまりないその表情がなんだか滑稽に見えて、悪いとは思いながら俺は声に出して笑いそうなるのを、唇をかみ締めることでなんとか堪えた。

「どうしたじゃありません。ユーリ、今日こそは私を戦闘に参加させてください!」

剣を持って来ていた時点でなんとなく想像がついていたことだったが、できうる限り自分が怒っていること表そうとしたのはそのためかと合点がいった。そう、エステルの言っている通り、彼女は近頃からずっと待機組みにいて戦闘をしていない。それ以外のメンバーは疲れたら代わる代わる1人ずつ待機しているので、エステルのようにずっと待機しているということもなかった。ずっとエステルだけ待機しているのをそりゃ不思議に思ったおっさんが、一度俺にその理由を聞きに来たことがあったのを思い出す。

「そりゃ、だめだな。」

「え?」

そんなことを思い返しながらあっさりとその申し出を断ったために、エステルは状況についていけないのか、しばし俺を見ながら目を見開いて呆然とする。珍しく怒ったところ見せたところで、駄目なものは駄目だ。大方、おっさんに何か適当なことを吹き込まれて、エステル自身が俺に言えば何とかなるという結論に至ったんだろう。

「ど、どうしてです?」

思ってもみなかった俺の反応に勢いを挫かれるも、エステルは再度食いついてかかってきた。次はどう俺に言えば聞いてくれるのかエステル自身も戸惑っているのだろう、慌てた表情と縋るような視線が少し痛かった。だからって、俺もエステルの頼みを聞けない理由がある、戦闘に参加させたくないちゃんとした理由が…。

「どうしても。それより、道具の買い足…」

「レイヴンさんから聞きました。」

茶化すように、この話はさっさと終わらすように、そう軽く言って話を摩り替えるつもりだった。だが、それで話が済むはずもなく、エステルは俯きがちに俺の言葉を遮る。

「私を傷つけたくないからと、そう言っていたと仰っていました…。」

頭一個分くらい身長差があるため、俯かれてしまえばエステルの表情をうかがうことはできない。でも、この鈴のような悲しい響きの声色が、今は見えないはずのエステルの表情を的確に伝えてくる。俺はこの顔をさせないためにそうしたはずなのに、今まさにそれが本末転倒になろうとしている。それと同時に、エステルに余計なことを吹き込んだ上に、更なる誤解を招くような事を言ったおっさんに細々と、しかしはっきりとした殺意にも似た感情が湧きあがる。後で、おっさんにはきっちり礼をしないとな、と頭の隅で思いつつも、その前に目の前の年にしてはまだあどけなさが残るこの少女をどうにかしなければならない。辺りを少し見渡せば、ちょうど良い人物が近くを通り過ぎるのが目に入って、その人物に声をかける。

「ジュディ。」

エステルと話していたのに、俺が別の人間に話しかけたのに驚いたのか、気配でエステルが顔を上げるのが分かった。そんな俺達の状況など知らずに、俺に呼び止められたジュディはこちらに近づいてくる。

「あら、なにかしら?」

2つ違いにしてはやはり落ち着いた雰囲気を持つ彼女は、胸の下に片腕を組みながら首を傾けて問いかけてくる。俺はエステルから完全にジュディの方に向き直って、あからさまに困ったように手を広げて言う。

「出発なんだがな…、道具の買い忘れがあったんだ。」

「そう、それは大変ね。」

大して大変そうにも思ってない声を出して、そう返す彼女は大体の状況を掴んでくれたということだろう。まぁ言っていることが棒読みな上に、目では違うことを訴えているのだから気づかないわけがないか。そんな自分が白々しいと思いながらも、俺の次の言葉を促すように沈黙を守ってくれたジュディに再度口を開いた。

「エステルと買出しに行ってくるから、出発は少し遅れる、…な。」

言外に仲間達によろしく言っといてくれという口実を残す。この隣にいるお姫様のように素直に言ってしまうほうが簡単なのかもしれないが、後々変にくっつけたがるおっさんやお姫様大好き少女に更なる誤解を招くか、どやされそうなことが容易に想像できて、他の仲間達のことを頼んだ。ジュディはそれをしっかりと心得たのか、にっこりと微笑むと思い出すように視線を上に向けながら手を口に当てた。

「リタはまだ研究をまとめるとかで、部屋でゆっくりしていたから少しくらい遅れても大丈夫だと思うけど?」

ジュディがそう言うということは、まだ他の仲間達の準備はできていないのだろう。了解も得られたところで、少し怒ったような顔で事の成り行きを見ていた少女の手を取る。白い手袋越しでも暖かな温もりのある手は、同じ剣を握る自分の手とは似ても似つかないほど、柔らかくてほっそりとしている。

「え?」

「悪いな、ジュディ。行くぞ!」

いきなり手を握られて戸惑っているエステルお構いなしに、取った手をそのまま自分の方へと引き寄せる。自然と引っ張られる形となったエステルの手を握りなおして、道具屋の方へと歩みを進める。後ろを見ないまま剣を持っているほうの手を軽く後ろに振って、ジュディに礼を言う。引っ張られるままのエステルは自分でも何がなんだか分かっていないのか、ユーリ?と頭の上に疑問符だけが乗っかっているようだった。

「エステルは、本当に大切にされているのね…。」

俺達の後姿を見送りながら微笑して呟いた言葉は、どこか悲しい響きを持ちながらも、俺の耳にまで届くことはなく街の喧騒に紛れて消えていった。

 

 

 

何分間、エステルの手を握っていたままそうしていただろう?声が出なかったわけじゃない。俯いたときのあの上から見たときのエステルの顔がなぜか脳裏に焼きついて離れなくて、いつものように上手く誤魔化すことも丸め込めるはずの言葉も完全に喉を通って出てこない。ただただ、人ごみを掻き分ける街の景観と繋いだエステルの手の温もりだけが、静かに俺を責め立てているような気がした。

けれど、先に沈黙に耐えかねたのはエステルのほうだったらしい。俺に話しかけようとする緊張感が握る手から伝わってきて、本人は自覚がないんだろうが自然と握る力にも力が込められる。

「ユーリ…。」

エステルが先ほどの話の続きを切り出そうとしているのが分かって、俺は軽く周囲を確認した。他の仲間達の姿、見知っている人の影はどこにも見当たらない。俺達を狙うような視線も殺気も感じないことを確認して、そっと繋いでいた手を離す。俺に引きずられるまま歩いていたため、俺の一歩後ろを歩く形となっていたお姫様と手を伸ばせば届くか届かないかの距離を置いて二人とも雑踏の中に立ち止まる形になった。近くも遠くもない距離の中でエステルに向き合うと、彼女は行き交う人々の流れを阻むかのように微動だにしなかった。小さい口が言葉を紡ぐようにして動くのを、俺はどこか傍観者のように眺めていた。

「…私はそれほどまでに足手まといなんでしょうか?」

やっと絞り出した声には自嘲のそれが含まれていて、俺はその様子に内心盛大にため息をついた。おっさんが言ったらしい『傷つけたくない』をこのお姫様はどうやらそっちの方に取ってしまったらしい。どう弁解しようかと頭で考えながら口を開こうとしたところで、お姫様の話はまだ終わっていなかった。

「私が“フレン”の預かり者だからってそんなこと…―、」

「!?」

突如として浮上した聞きなれた名前に、思わず持っていた剣を手からずるりと取り落としそうになる。なんで、そこでフレン…?話が見えず半眼でまじまじとエステルの顔を見やるも、彼女は彼女でそのことに必死らしくこちらのそんな反応にも気づいてもいなかった。どうやら話の方向は自分が思っていた以上に、変なものへと傾きつつあるらしい。そして十中八九、それは誰かからの入れ知恵だ。軽く眩暈と頭痛を覚えたが、まぁ元の原因を作ってしまった自分にも責任はあると思い直し、エステルにゆっくりと歩み寄る。また俯いたまま続きの言葉を紡げなくなってしまった彼女の肩を軽く叩いて先を促してやる。

「それで、俺に言いたいのはそれだけか?」

弾かれたように顔を上げたエステルは、俺の顔を怒ったように見上げると、はっとしたようにその表情は一転して、まるで意固地になった子供のように眉毛をハの字に曲げて目を背けた。そんな態度で俺に勝てるはずもなく、無言で見つめられるのが恥ずかしいのか徐々に頬が頭と同じ桜色に染まっていく。そんな初々しい反応に、くすりと笑い声を漏らしてしまえば、その小さなことにも敏感に反応してしまったお姫様は、背けていたはずの視線を俺の方へと戻してしまう。視線がお互いばっちりと絡んだのを確認すると、にやりと笑みを作って見せる。ぼんっと音を立てたと、形容できるほど彼女の顔は真っ赤に染まった。
はい、お前の負け。

無言の交戦は俺のその表情に根負けしたエステルによって、終わりを告げた。それでも悔しいのか、彼女は閉ざしたままだった口を開くも、再び視線を俺の方から引き剥がして別の虚空を見つめた。

「ユーリに…、」

少しの間を置いてから発せられた言葉は、先ほどよりもいくらか落ち着いた声で、どうやら彼女の中で上手く考えがまとまったらしい。これから紡がれる言葉を聞き漏らさないように、俺も未だ俺から目を逸らしている彼女の様子を伺いながら傾聴した。

「…そんな風に守ってもらうのは全然嬉しくありません。……私も、私だってみなさんのこと守りたいんです。私ばかりがみなさんに迷惑を掛けたくないんです!」

最初は弱々しく響いていた声も次第にはっきりしたものへと変わり、最後には俺に訴えかけてくるようなものだった。今度こそちゃんとエステルは俺の方を真摯に見上げる。そんな彼女を見ながら、迷惑か、と彼女には聞こえない声で少し皮肉を込めて小さく呟く。

このお姫様はそれが原因で、俺が戦闘に参加させたくないとは露も考えないんだろう。あのおっさんが『傷つけたくない』と言う言葉一つで、俺がエステルを戦闘に参加させたくない理由をまとめたに過ぎない。確かに、おっさんの言っていることは間違ってはいないんだろうか、些かこの語弊をいろんな意味で招きやすい言葉でまとめるのはどうだろうか?事実、俺たちはこんな状況に陥っている。

しばし言葉選びに逡巡してから、口から出た言葉はいつもと変わらない言葉。

「俺は、エステルが自分で決めたことなら尊重するつもりだ。」

「ユーリ!」

分かってくれたのですね、とエステルの顔がすぐに喜びへと変わる。だったら…、と次にどんな言葉が飛び出すが容易に想像がついて、俺はその言葉を遮るように話を続けた。

「けど、それが自分の身を滅ぼすようなら、俺はそれを止める。」

すっぱりとして物言いは彼女には伝わったようだったが、どうやらこの少女にはその言葉の意図までは上手く汲み取れなかったらしい。ありがとうございます、と律儀にお礼を言って、その続きの俺の言葉を待っている。そんな天然オーラ全開のお姫様に、本日何度目か分からなくなってきたため息を内心で盛大についた。

「…エステル。」

改めて名前を呼べば、エステルははい?と軽く首を傾けてくる。いつも俺よりなんだってできるあのフレンにだって、口では勝っている自信はある。いけ好かないお貴族様だろうと、皇帝候補だろうと、無礼だと何とか言われようが、畏怖も何もなく堂々しゃべれるし、実際にそうだ。なのに、どうしてこのお姫様相手では、どんな奴も一蹴してきたこの減らず口は上手く回らないんだろうか?どうしてギルドの依頼のように上手くやり遂げることができないんだろうか?こいつ相手のほっとけない病は本当にどうしようもないくらい重症らしいと、内心苦笑を漏らして、諦めて素直に口を開いた。

「俺はこいつ(・・・)で守りたいもの守ろうと思っている。今までも、そしてこれからもな。」

そう言って掲げて見せたのは、手にぶら下がっている剣。エステルは俺が掲げた剣をまじまじと見た後、視線を俺へと移す。一瞬きょとんとした彼女に、俺は笑って見せてエステルは?と問いかけた。彼女はもう一度俺の顔と剣を交互に見比べてから、考えるように視線を落とした。

「私には…」

「治癒術しかないから、ってのはもう無し、な?」

若干声のトーンを落として発せられる言葉を、それに被せるようにして少女が言おうとしたであろう言葉を紡いで、おどけて笑って見せた。自分の台詞をとられてびっくりしたのか、はたまたそんなことを言われるとは思ってみてもいなかったのか、彼女は刹那言葉を失って、でも、と言い澱む。

お姫様の癖にこの少女は、自分のことなんてまったく省みずに他人のために尽くすことがほとんどだ。いわゆるほっとけない病で、それを指摘するとそれを言うならユーリもです、と怒ったように口を尖らせてくるものだからしょうがない。俺は自分の限界を分かっていてやれる程度でやっているからいいようなものだが、この少女はその限界すらも飛び越えて目の前のことに尽力してしまうから尚更始末に悪い。でも、だからこそ気づけないのかもしれない。自分をまったく省みられないほど他人に尽くしてしまうから、そんな簡単に自分には治癒術しか役立てるものがないと思えるんだ。それを見て歯がゆく思うこちらの気持ちなど考えずに…。

ジュディの時の反省もあり、少女の額に軽くデコぴん。いきなりの攻撃に痛い、と額を手で押さえ俺から仰け反ったエステルに、俺は呆れたように声を落とした。

「それだよ、それ。」

「ユーリ!もうっ…。」

軽くしたつもりのデコぴんが痛かったのか、半分涙目のエステルは額から手を離しながら抗議をするようにむっとした声で俺の名前を叫ぶ。でも、『それ』の意味が分からなかったのか、半分問いかけるような視線を送ってきた。

「そうやって、自分には治癒術か戦闘しか役立たないって思って戦ってたら、そんなの辛いだけでしかないだろ?俺みたいに戦闘を楽しめまでとは言わねぇが、そうやって自分を追い込んでいく内に身に余るほどの無茶をして、いつかは自分で自分を傷つけるかもしれないだろ?」

だから、もうそんなことは言うな、と言外に言い包めた。エステルには少なくとも、仲間といる内くらいはそんな風に考えてほしくない。そう思ったのが、あのおっさんに言った戦闘に参加させたくない理由の全容だ。それなのにあの胡散臭いおっさんときたら『傷つけたくない』の一言で片付けやがって。これが諭すためなのか、心配から出た言葉なのか分からないが、確実にエステルの元へと伝わったのが彼女の緩んだ表情を見て分かった。ただ、これでエステルが素直に頷いてくれると思ったのが、俺の大間違い。

「もし私がこれからも無茶しそうになったら、その時はユーリが止めてくれるんですよね?」

彼女は力強く言いのけた。その聞き方はこちらに問うてくれている訳ではなく、ほとんど確信に近い。このお姫様は、俺がいるからそんな無茶をしても大丈夫だと言っているのだ。だからこれからも、こっちの心情など考えずに目の前で困っている人がいたら助けると、そう言っている。だが、俺はもう一つ含んでいる意味にも気付いてしまった。私がいつそんな無茶をしでかすか分からないからずっと傍にいてほしい、という意味にも。けど、後者はあえて気づかない振りをして、俺も負けずと減らない口を叩く。

「どっかのお転婆姫はちょっと目を放した隙に、すぐに無茶に走るからな…。俺の手には負えないかもしれないな。」

目線はエステルを捉えたまま離さないで、大げさに手を広げてほとほと呆れたようにからかってみせる。そんな俺の反応に不服なのか、彼女は頬を膨らましてさらに言い募る。

「いいえ、ユーリならそれでも助けようとしてくれます!」

びしっと人差し指を突き立てて宣言した彼女は、まるで自分のことのように誇らしげだ。

そんなに信じきられてもな。

全幅の信頼を寄せてくる世間知らずのお姫様は、純粋にそう思って言っているのだろう。だからこそ、この少女には見せていない面や隠している感情を思い出すと、本当にこのままでいいのだろうかと少しため息をつきたくなった。そんな考えを頭から振り払うように、そんな彼女の言葉さえ俺はいつものように皮肉った。

「いやー、分からないぞ。家臣の言うことさえ聞いてくれないお姫様だ、いざって時だって俺の言うことなんか耳を貸してくれないかもしれないしな?」

そうやって意地悪くエステルに問うてみれば、彼女はうっと二の句が告げなくなった。俺のことなら自信を持って言えるのに、自分のことになると途端に断言できなくなってしまう彼女に苦笑するしかない。先ほどの勢いはすっかり消えて、しょんぼりとしたお姫様はばつが悪そうに口を開く。

「それは…、否定しませんけど。」

戸惑うように開いた口は、一旦逡巡した後に正直な答えを漏らす。そこは否定してほしいところだったが、なにせすでに前科があり、本人もそれを自覚しているようなので俺もあえて閉口した。大きいため息一つ。そんな俺の態度に、ビクッと肩を震わせたお姫様は俺が怒っているのか、と伺うように俯いた顔を上げながら俺の表情を覗き見る。

「なら、…無茶をするお姫様を守ってくれるどっかの野郎が守りやすいように、せいぜい無茶しないように頑張るんだな。少なくとも、そんな自分を否定する考え方はやめろ。」

すっぱりと言い切ると、怒ってないことが分かってほっとした顔をする。だがすぐにその表情を引っ込めて、エステルはまだ納得いかないような顔をして、悩むように口を唸らせた。別段無理なことを言ったわけでもないのに、どうしてそこで迷うのかが俺には分からず口を開こうとしたところで、やけに真剣なエステルの瞳と目がかち合った。

「やめたら…、守ってくれます…―?」

何度も言葉を選んだのだろう、一度口に言葉を乗せかけ、それが音を発する前にまた別の言葉を口に乗せる。静かに、だけどやたらと緊張を帯びた声に、この言葉はあまりにも簡素過ぎた。でも、簡潔だからこそ、それ以上に意図して伝えたい意味とその重さが、どっしりと俺に伝わる。鋭いことは、時として余計な陰鬱を招くこともあると、どこか他人事のように思った。ワンテンポ遅れてやってきた手の震えと徐々に色を増していく頬が、その一瞬の閃きにも似た勘を現実だと証明付ける。この少女の『守る』は、あの生真面目な親友が良く口にする『守る』とは意味が違う。このお姫様が俺に求めているのは、彼がかつて、いや今もか、託したような責任の『守る』ではない…。そこまで考えて、俺は内心自分を嘲笑った。そんなことは、すぐに気づいていたことだった。とっくに自分で気づいていて、もうそれは知っていることとして自分は処理してきていたのだ。どうしてそのことを、今更ここで悩む必要があると、悩んでどうするのだと、そう自分を笑い飛ばした。

「どうだろうなー?少なくとも手の届く範囲にいる内は守ってくれるんじゃないのか?どうやらそいつ、暇みたいだし。」

何でもないような顔を貼り付けて、エステルが言ったこととは確実に話のピントをずらす。皮肉を込めて意地悪そうに言う自分の声は、少し冷めたように客観的に聞いている俺の耳にもいつものとなんら変わりはないように聞こえた。ただ、視界の隅に入った握りこんだ手が白くなっていくのだけはどうにもならなくて、そのまま何も見なかったことにする。どんな反応をするのだろうか?面白半分、興味半分だと思い込みながらエステルに目を向ければ、彼女は俺が予期していたどんな表情でもなかった。

笑って、る…?

ある意味、エステルをつき返す意図で言ったつもりの言葉だった。大したことでなく今は一緒に行動しているからなのだと、暇だから今のうちは守ってやることができるんだと、軽い嫌味さえ含めたのに…。なぜ、この少女はそんなに嬉しそうに笑うのだろうか。

「だったら、その方にずっと暇でいてくれるようにお伝え下さい。」

にっこりと微笑んでそうお願いしたお姫様の言葉が、純粋で、それでいて無邪気に放たれたものだったので、逆にこちらがどんな顔をしていいのか分からなくなってしまう。先ほどみたいに緊張を帯びて言われたのとは違う。まったく意図もなければ、たくさんの思いを込めて言われたものでもない。ただそう思って、素直に口に出したというだけだろう。それが(かえ)って、俺の体裁を多少なりとも崩すことになる。この天衣無縫な少女にお得意の口は通用しなくて、どんな顔も今は見せたくなくて、さっと後ろを振り向いた。別に心の内がほとんど顔に出るわけではないので、エステルから顔を遮る必要はなかったのかもしれないが、それでもいつも通りに繕う自信と顔をつき合わせる気は起きなかった。

「ユーリ?」

どうしたんですか?といきなり体を背けてしまった俺に、問いかけるように名前を呼ばれる。それで少し我に返った俺は、まだ鳴り止まない動揺を必死に押さえつける。どうやら知らず少し油断しまっていたらしい。

いや、俺がエステルのことを少し見誤っていただけか。

エステルは、この世間知らずなお姫様は、一見他人の言葉に惑わされると思いきや、意外にも自分のやりたいことを決めてそれを貫く性分がある。その癖、人一倍他人に心を砕き、心配するもんだから、時々俺の範疇を越えて行動して内心慌てさせることもしばしばだ。だから、こんな風に嬉しそうに言われると、その言葉が純粋であればあるほど、俺から見える壁を、感情を、どう持て余せばいいのか。直隠(ひたかく)しているものをどこまで露見していいのか、それまで迷いも生じなく動じなかった考えと理性に、微かな穴を、けれども確実にもろく崩れ去る小さな穴を開けるときがある。そこら辺の女に誘惑されても動じない自信があるはずの俺が、どうしてこんなお姫様相手に動揺しなければならないのだろう。ほら、もう一人の自分が俺を嘲笑った。それでも、今度は本当に自分自身を笑う気にはなれなくて、言いかけた言葉をのどの奥に押し込んだ。その代わりにと、口を開く。

「いつか、な。」

無理やり引っ張り出した言葉は、やっぱりらしくないもので、お姫様に振り回された結果出てきたようなものだった。その声が聞こえなかったのか、エステルはなんです?というように首を傾けてきた。俺をじっと真摯に見つめてくる様は見ていて悪くないもので、顔だけをエステルのほうに動かして軽く笑って見せた。

「いつか、そいつに伝えといてやる。」

「はい!」

意味が分かったのか、やっぱり顔を綻ばせて笑う姿は、一般的に言っても可愛いと言えるものだった。エステルの気持ちはとっくに気づいているのもので、今更それをどうこうする気もない。今日言ったのはなんとなくの俺の気まぐれで、その“いつか”は来ることはないんだと呪いのように繰り返した。

それから、肝心なことをうやむやにしたまま、本題から話が逸れたことを俺が思い出したのは道具屋への歩みを進めて3分後のことになる。

 

 







 

 

あとがき

続くんだろうか…?私のユリエス感ってこんな感じです。

飄々として時々意地悪な余裕の笑みを浮かべているような男前さんが、天然姫の愛にどんどん振り回されて愛し合っちゃうような、そんなカップリングだと信じて止みません。

エステルの天然は、ユーリ好きが前向きにいい方向で自覚無しのオープンだからこそ、ファラより何十倍もタチが悪いんだと思います。

 

執筆日:2008911

 

 





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