「はい、リッド」
いつものように毎年もらえるそれを、やはり毎年舞い上がる気持ちを押し隠して受け取る。ファラはバレンタインの時期になるとお世話になった人に、必ずと言っていいほどお菓子を焼いては配っていた。もちろん、リッドだって例外ではない。
「ありがと、大事に食うよ」
舞い上がった気持ちを悟られないようにするためとはいえ、お礼はいつも月並みな言葉しか出てこなかった。
笑顔で日頃の感謝だと言って、嬉しそうに渡すファラを見て思う。『ホワイトデーのお返しは3倍返し』なんてことは欠片も思っていないだろう。そもそもファラはお返しなんか期待していないだろうし、若者が少ないこの村では、わざわざファラにお返しする人間も一握りのように思えた。
でも、ファラはそれでもきっといいに違いない。受け取ってもらえたら嬉しい、喜んでくれたら嬉しい、誰よりも人の幸いを願う、リッドが知るファラの姿がそこにはあった。初めてバレンタインのお返しにと、道端に生えていた花を渡すと、無邪気に喜んだ幼いファラの姿を今でも覚えている。そんなに喜ぶことかと眉をひそめて、でもそんな風に喜ぶ姿はいつまでも忘れられず、それからお返しだけはするようになった。
いや、違う。世界で誰よりも人に与えることを喜びとする彼女に、唯一お返しができる日というのがリッドにとってのホワイトデーの位置づけになったのだった。
―旅に出る以前―
幼馴染の家に行こうとしたら、彼女の家に行く前に本人に出くわした。ラシュアンみたいな狭い村なら普通のことだが、その普通が最近ではとんとご無沙汰になっていたので、改めて彼女との生活スタイルの違いを思い出される。ちくり、と少し痛いように思えた気持ちを相手に悟られないように、リッドは本日の獲物の分け前を彼女の前に差し出した。
「ちょっと狩り過ぎたから、お裾分け」
捕りすぎたなんて嘘だ。今日はファラの家に行く予定だったから、彼女の分も含めてあえて多く捕ってきた。ファラはそんなことなど知る由もなく、笑顔でそれを受け取る。
「ありがとう。こっちも野菜余ってるよ、いるでしょ?」
そう言って当然のように家に取りにこうとするのをリッドは制した。
「いや、今日はいい。ほら、これもやる」
そう言ってリッドが持っているには分相応な華奢な包みをそっけなく渡す。お裾分けのついでに渡そうとしたものこそが、リッドにとって本日一番の要件であったのだ。
「あ、そっか!今日ホワイトデーだっけ」
リッドから包みを受け取って、ファラも顔をほころばせながらようやく気付いたらしい。
「バレンタインはみんなに配ってるから、お返しはいらないよっていつも言ってるのにー。リッドってホント、変なとこ律儀だよね」
「そういうお前だって、懇切丁寧に毎年バレンタイン配ってるじゃねぇか」
それも村中の人間全員だ。リッドはただちゃんとお返しをしているだけであって、毎年ありったけの数だけクッキーやチョコを手作りしているファラに言われる筋合いではない。そう思って顔を顰めるリッドをよそに、ファラは開けていい?と笑顔で尋ねてきた。だが、そう言ってる傍からもう包みを開け始めている。
「わぁ、キレ―!!可愛いブレスレットだね!わざわざミンツまで買ってきてくれたんだ」
どうやってお返しを調達したかまで言い当てられ、リッドはさらに顔を顰めた。
(こういうとき、幼馴染って本当にカッコつかねぇ…。)
今更自分たちの関係を呪ったところでどうしようもないのだが、いざファラの前でカッコつけようとしたところで、すべて肩透かしを食らうことがほとんどだ。そして、そんな男の心情を理解してくれるほど、この幼馴染は鋭くない。
「ありがとうリッド、大事にするよ」
そういってファラはリッドが送ったブレスレッドをつけて掲げて見せた。薄緑に輝くブレスレットは、風に舞う小花をモチーフにしたものらしいが、リッドの見立て通りファラにはよく似合っていた。どうやらファラも気に入ってくれたらしい。
彼女の眩しい笑顔を眺めるうちに、自分の頬筋が緩んでくるのが分かってリッドは慌てて踵を返した。
「あれ、野菜は?」
それに気づいてファラの声が追ってきた。だが、リッドは足を止めなかった。
「今日はいらない。お返し渡した日に、お返しもらうのも変だろ?」
ファラがそんなことを気にする性格でないことはよく分かっているし、リッドとて本来ならそんなことにあまり頓着しないはずだった。だけど、今日だけはなんとなくファラか何かもらいたくなかった。リッドの中にある悶々とした薄暗いものが、ファラから何かもらうことを拒む。
じゃあな、と後ろ手に手を振ると、ファラからも振りかえす気配がして、やがてファラの気配も遠ざかっていった。
幼馴染にホワイトデーのお返しをしたところで、あまり面白いものではない。獲物を納入するのに、ミンツまではそうそう足を伸ばすことはない。だが、こんなド田舎では、ミンツまで足を運ばなければファラが喜ぶような小洒落たものなどあるわけなかった。そして、女子学生が賑わう中で雑貨屋に足を踏み入れるのは、いくつになっても苦手だ。獲物のお裾分けだってそうだ。最近とんと顔を合わせなくなっている相手に、わざわざお返しだけ持っていくのは気恥ずかしい。その気恥ずかしさを紛らわすように、ついでを装ってお返しを渡したことまで全部、ファラにはお見通しに思えて仕方がなかった。全部分かっていて、あえて黙ってくれているようにリッドには感じて、リッドにはそれが堪らなく面白くないのだ。
でも、気づいた時にはいつの間にかお返しをするようになっていた。ファラだって、問われれば覚えてないくらいずっと前から。全部お見通しで自分よりも一つ下なのにお姉さんぶろうとする幼馴染に、それでもお返しだけはしたかった。
―序盤―
「ファラ、何かほしいものってあるか?」
リッドがその質問をしたことがよっぽど意外だったのだろう。しばし、驚いたように目を見開いた後に、合点がいったのか今度は目を細めて笑みを浮かべた。
「そっか、そろそろホワイトデーだもんね!」
あっさりと質問をした意図まで言い当てられ、リッドは内心がっくりと項垂れる。つくづくこの幼馴染に叶わないったらない。
「旅の真っ最中だし、お返しはいらないよって言ってるのに」
毎年聞く枕詞を改めて言われて、リッドは反射的に言い返した。
「そう言うお前だって、旅の真っ最中にくれただろうが、バレンタイン」
今年はさすがに村人の分を作るわけにいかなかったみたいだが、ファラは今年もリッド、キール、メルディの三人に渡していた。チョコをもらったメルディがファラと同様にチョコを作って手渡したいと言い始めたのは、完全な余談である。そのあとメルディにお菓子作りをレクチャーするために、今度はメルディと一緒にバレンタインのお菓子を作ることになったのだ。メルディからもらった菓子も、ファラが指導しただけあってうまかった。二人に返すお返しは、珍しくもキールと一緒に連名で返す準備は整えてある。だが、ファラには特別に何か返したいのだ。旅に出る前のリッドならキールと一緒に何か見繕ってそれでバレンタインのお返しは終わりのはずだった。それでも、ファラに何か返したいと思ったのは―、
「だって、私リッドが一番ほしいもの奪っちゃったんだもん」
何が?とは口を挟めなかった。
「早く帰りたいんでしょ、ラシュアンに」
「……。」
それを言われるとこちらは反論のしようがない。事あるごとに機会があれば、帰りたいと口にしていたし、そう何度も言わなければこの幼馴染はラシュアンを省みずどこかに行ってしまうような気さえしたからだ。
「帰りてぇよ、ラシュアンに。けど、ホワイトデーは向こうでお返しできるほど、すぐさま帰れる状況じゃないだろ?」
あと火の大晶霊イフリートを見つけ出さなければ大晶霊集めは終わらないし、セレスティアから来たというメルディをどうするかも問題は山積だ。王様がセレスティアと開戦宣言をした今となっては頼れるべき相手もなく、リッドたちがどうにか動くしかないのだ。
「うん、リッドって文句は言うけど、なんだかんだ私の言うこと聞いてくれるもんね。だから、バレンタインはそんなリッドにご褒美。」
「…ご褒美じゃなくって、いつも尻拭いさせられているお詫びの間違いじゃないのか?」
すぐさま突っ込むと、8割手加減された拳が飛んでくる。(手加減がされている辺り、本人も少なからず自覚はあるのだろう。)ファラはしっかりリッドの鳩尾に技を決めると、むくれながらもキールとメルディたちのところに向かう。
「で、結局、お前のほしいものってなんなんだよ?」
腹を押さえながらではあったが、問いかける。ファラも喧嘩の間合いで反射的に言い返した。
「だから、お返しはいらないって…!」
「そうじゃなくって、お前のほしいもんくらい聞いちゃだめなのかよ?」
そう言われるとファラもリッドの質問を跳ね除けるわけにはいかなかったらしい。ぐっと怒りを堪えると、そのまま表情は弱々しく困惑したものへ変化していった。
「うーん、それがリッドに聞かれた時から考えてたんだけど、ほしいものが思い浮かばないんだよね」
彼女の真剣に悩む姿に、リッドの方が嘆息した。ファラ自身本当にほしいものというのがないのだろう。だから、リッドがほしいものが何かと聞かれた時から、頑なにお返しを固辞していたに違いない。リッドからしても、ファラがこれほしい、あれほしい、というのをあまり聞かないからこそ、本人に直接聞いたのだ。だが、本人すら何がほしいかわかっていないのであれば、いくら幼馴染としてファラのことを熟知しているリッドでも分かるはずがなかった。
「あ、あるかも、ほしいもの!」
しばらく、逡巡していたファラが思い出したように手を叩く。
「なんだ?」
「そうだね。あえてほしいものをあげるなら、―――――――――――――、かな?」
ファラのほしいものを聞いて、彼女らしいと言えば彼女らしいおねだりにリッドは一瞬呆然とするしかなかった。
ホワイトデー当日。
リッドたち一行はシャンバールに来ていた。お返しは今朝の朝食の時に、可愛く包装されたクッキーの詰め合わせをリッドとキールから渡された。数日前にリッドからほしいものは何かと聞かれたばかりだったので、今年はどんなお返しが来るのだろうかと期待していたのが、旅の最中だからすぐになくなるものがいいとリッドも考えてくれたに違いなかった。
それにそもそもファラのほしいと願ったものは物ではない。ほしいものを言った瞬間、リッドが困った顔をしたのをファラは見逃さなかったからだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、ビストロシャンバール向かって歩いている。というのも、少し休息がほしいと、珍しくリッドが言い出したからだ。特にやることもなく、珍しく暇を持て余したファラは、料理の腕を上げるべく、あそこで定期的に行われる料理対決を見に行くことにしたのだった。
と、見知らぬ老婆から声をかけられる。
緑髪のお嬢さん、と言われるまで自分のことだと気づかないほど、ファラの方は全く覚えがなかった。
「あなたかしら?赤髪のお兄さんがあなたに言われて重い荷物を家まで運んでくれたの。お陰ですごく助かったわ、ありがとう」
ファラは目を瞬く。赤髪のお兄さんとは紛れもなくリッドのことだろうが、あの腰の重いリッドがそんなことを進んでやるなんてどうあっても考えにくい。
(…それに私に言われたって、私はそもそもリッドにそんなことをお願いしていないのに)
と、そこまで思い巡らして、唐突に先日自分が言った言葉を思い出した。
何度も嬉しそうにお礼を言ってくる老婆になんとかリッドの向かった先を聞き出して、駆け出す。そして、駆け出す傍から誰かしらに引き留められた。
―あの兄ちゃんが、屋根の補修してくれたんだ。ありがとう―
―赤髪の坊やが、肩が凝ってると言ったら揉んでくれたよ、ありがとう―
―お兄ちゃんが、泣いていた弟をあやしてくれたの、ありがとうお姉ちゃん―
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
シャンバルーンの人達からもらう感謝の言葉で、ファラの心はいっぱいになった。ファラだって感謝され慣れていないことはないのだが、こうも寄ってたかってお礼を言われた経験はない。少し泣きたいような気持ちになって、必死になりながらリッドの姿を探す。
「リッド!」
幼馴染の姿を見つけて声を上げると、駆け寄ってきたのはリッドの傍にいた子供たちの方が先だった。
「「「お姉ちゃん、お菓子ありがとう!!」」」
子供たちはその手にはキャンディを持っていて、身振り手振りでファラからということでリッドからお菓子をもらったことを伝えてきた。キャンディを舐めながら喜ぶ子供たちの姿に、ファラも自然と笑顔になった。そして、ようやくリッドもファラのところにやってきた。
「ほら、これお前の分」
そう言って掲げて見せたのは、子供たちが持っているものと同じキャンディの袋だった。
「え?でも今朝クッキーもらったよ?」
「まぁ、あれはキールと一緒に返した奴だからな。これが正式な俺からファラへのホワイトデーのお返しだ」
気に入ったか?と頭を掻いたリッドも、少し照れがあったらしい。
「うん、充分過ぎるくらいだよ。私が“みんなが幸せでいること”っていうほしいものリッドはちゃんと叶えてくれたんだね…。こんなに一日でいっぱいお礼言われたのって初めてだよ」
涙が出そうになって、リッドにはこんな顔見られたくなくて思わず俯いた。
いつも面倒くさいって言ってるのに、こんな時だけ私のわがままを聞いてくれるなんてずるい。なんだか負けたような悔しさや、嬉しさが混じって、顔をあげるにあげられなくなった。
「ほとんどはキールとメルディの入れ知恵だけどな。今までお前がやってきたお節介で、喜ばれて俺でもできそうなやつをこの町でやってみた」
7歳の時に、風車が壊れて補修しようとして危うく落ちそうになった。
14歳の時に、村長の肩こりが酷いと言って、毎日のように揉みに行った。
16歳の時に、近所の奥さんがミンツまで買い物に行くと言って、子供たちの面倒を買って出た。
…リッドはきっと全部覚えていてくれていたのだろう。誰に賞賛されなくても、リッドだけが分かっていてくれたことが嬉しい。
「単なるお節介が結局騒動まで発展して、俺が尻拭いしていることがほとんどだけど、お前がやっていることは確実に人を幸せにするもんな」
リッドの顔が刹那、愛おしそうなものを見る目でファラを見つめた。こんな風にリッドに笑いかけられたのは初めてで、ファラは一瞬ドキマギする。
と、それまでの雰囲気が幻だったかのように、リッドはキャンディを強引にファラに手渡した。表情もリッドのいつものそれだ。
「ほら、お菓子はみんなで食べるとうまいんだろ?」
8歳の時、お菓子作りにはまって、作り過ぎた分はみんなに配って一緒に食べた。
ファラも思い出して、くすりと笑う。そして、キャンディを押し付けたリッドの手を逆手にとって、今度はファラが彼の手を引っ張った。
「なら、リッドも一緒に食べないとね!」
「げっ!?」
リッドの手を引っ張ったまま、キャンディを食べている子供たちの方に駆け寄る。それまで抵抗していたリッドも、ファラが子供たちの輪に混ざると呆れた顔をしつつも一緒になってキャンディを舐め始めた。
こうして、ファラの願う“みんなが幸せでいる”ホワイトデーはあっという間に過ぎ去っていったのだった。
―レグルスの丘以降―
旅に出てから、また季節は一巡りをした。セレスティア風バレンタインとファラが名付けたお菓子は、すべてのソディを使っているものの味付けはインフェリア風味で好評だった。そして、ホワイトデーが間近に迫ったある日。
「ファラ、何かほしいものってあるか?」
去年も聞いた台詞をそっくりそのまま同じようにリッドに聞かれてファラは目を瞬いた。焚き火が爆せる中、リッドの表情は火の光でなんとか伺える程度である。
「何って…、」
「まぁ、今年も物ではないっていうのは、想像がつくけどな」
リッドがファラを殊更茶化すように笑った。
ファラはてっきり、今年もみんなを喜ばせてくれるようなことをやってくれると思ったのだ。去年のホワイトデーはよかったと、何度もリッドに伝えたし、リッドにもそれはしっかりと伝わっているはずだと思っていた。なのに、どうして?
その疑問はファラが口に出す前にリッドが答えてくれた。
「今のファラのほしいもんは、本当に“みんな”が幸せでいることか?」
「……。」
『みんな』の部分を強調されて、ファラは押し黙るしかなくなった。
きっとリッドは気づいている。もちろん、世界中の人に幸せでいてほしいという気持ちは今でも変わらないが、でももし今何かを願うとするならば“私”が幸せになることだろう。
私は幸せになったらいけないと思っていた。私が幸せにならなければ、他の人達は少しでも幸せになるとさえ思っていた。だけど、違うのかもしれない。
リッドがもういいよ。そう私に言ってくれた時から、すごくほっとした。ほっとして、それがすごく幸せだと思った。そして、リッドはそう感じていいのだと言ってくれた。だからもし許されるのであれば、私もみんなと同じように幸せを感じていたい。
「私は…、」
「あぁ」
「―…私も幸せになりたい」
「そのために俺はどうしたらいい?」
重ねて問うてくるリッドに、私は戸惑った。この先はまだ口にしていいのか分からない。
「ファーラ」
リッドが優しい声で私の名を呼ぶ。去年とは違う意味で顔をあげられなくなった。
「…リッドが一緒にいてくれたら、私はそれで十分なの」
どっかに行ってしまわないで、とは言えない。だって、言う資格はないから。
リッドがもういいよ、そう言ってくれてすごくほっとした。だけど、ほっとする前はすごく怖かった。リッドは私のわがままを聞いてくれる、絶対助けてくれる、置いて行ったりはしない。そんなことを掛けなしに信じていられたのは、ファラが一生懸命過去の罪に蓋をして見ようとしなかったからだ。だから、無邪気にそんなこと信じていられた。
でも、その罪と向き合った時に初めて知ったのだ。今まで信じていたことは仮初めに過ぎないことを。その瞬間から、リッドが自分から離れ去る姿がはっきりと目に浮かんだのだ。それは、ただのファラの悲観的な想像でなく、事実を知ったリッドがファラの元を去るという現実的にあり得る想像だった。だから、怖かった。だって、リッドは、リッドだけは傍にいるって信じていたのだ。どっかでそれを勝手に心の支えにしていた。なのに、自分のせいで、その支えまでもが失われるかもしれないと思うと、それは耐え難い苦痛だった。一緒に旅する前だったら、まだなんとかなったかもしれない。でも、リッドが傍にいる安心感と、無謀にも立ち向かえる強さを知ってしまった今、それを手放すことは容易ではなかった。リッドがいない未来を想像できるから、いなくなってしまった時の恐怖を知ってしまったから、だからリッドがいなくなることが怖い。
「…っ!」
いつの間にか涙がぼろぼろと零れている自分に気づいたのは、リッドが優しく背中をさすってくれたからだ。温かくて、でもそうやって癒される自分が恐ろしくもある。
「俺がいなくなることが心配か?」
それはまさしくファラが最も恐れていることだったが、それをリッド本人の前で肯定することは憚られた。ややあってから、なんとか首を横に振る。
「違うよ。…違うの、そういうことじゃなくて―…、」
反駁したいのに言葉が続かない。ファラの中でも、一緒にいたい、でも言ってはいけない。と、相反する二つの気持ちがあってそれを上手く表現できないのだ。
「一緒にいてほしいんなんて、ほしいものじゃねぇだろ?俺たちはずっと一緒にいるんだから、そんなの今更だ」
まるで言うことを聞かない子供に言い聞かせるように、リッドは話す。
この幼馴染は最初からお見通しだったのかもしれない。ファラは何がほしいのか、願っているのかも全部。分かっていて、それでもあえて自分の口で言わせようとしたのだと、この時になってようやく気付いた。
「今更でも、ホワイトデーのお返しならリッドは言うこと聞いてくれるんでしょ?去年みたいに」
ファラもまだ涙がにじむ声であえて軽口をたたいた。
ほしい、ほしいの。リッドが一緒にいることがどんなことよりも一番ほしい。
「なら、今日はずっとこうやって話すか?」
そのかわり、子供の時みたいにすぐ寝るなよな?
リッドが笑いながら釘を刺し、そばにあった毛布を手繰り寄せるとファラの肩にかける。
「リッドだって寝ないでよ?寝ずの番してくれる人、リッドしかいないんだから」
女性陣はこういう当番はもともと免除されているし、キールは全くの不向きだ。ファラが注意すると、リッドから不満の声が返ってきた。
「俺が旅の当初から、どれだけこの役割をやってきたと思ってるんだよ」
そして、先程と同じ優しい声のトーンに戻る。
「お前がほしいもん、全部言えよ。叶えてやっから」
妙に真面目な顔で言ったリッドが可笑しくて、ファラは思わず噴き出した。
「あのなぁ、なんでそこで笑うんだよ!!」
「だって、いつもだらだらしてるリッドが、ちゃんとしたこと言うんだもん。可笑しいじゃない!それに、ホワイトデーの言葉じゃなくて、それってなんだかプロポーズの言葉みたい」
ファラはツボにはまってさらに声を高くして笑ったが、リッドは一緒に笑わずに目を逸らすだけだった。
え?
そんなリッドの態度に逆に戸惑うことになったのはファラの方だ。可笑しかった気持ちも笑え声も途端に治まってしまう。そして、自分の直前の言葉が思い出される。
“なんだかプロポーズの言葉みたい”
自分でもなぜそんなことを口走ってしまったのか不思議だ。後悔とともに、さっと顔が赤らむ。ファラもリッドから少し遅れて同じように目を逸らした。
焚き火を挟んで向かい側にリッドは座っている。狭いような遠いような空間に沈黙が流れた。もう夜だし、火の光だけでは顔に集まってなかなか冷めない熱もなんとか誤魔化しがきくだろう。そう思って意を決してリッドの方を伺うと、彼と目が合った。
ややリッドは躊躇するように口を開く。
「俺は信じてるぞ、変わらないって」
そうだろ?と同意を求めてきて、ファラも一緒に頷き合った。
「旅をしてどんな経験したって、昔みたいに俺たちはこうやって遅くまでしゃべってるんだ。それはこれから先だって変わらないって、俺は信じてる」
強い意志が宿っている瞳を見つめながら、そういえばセイファートの試練の後もこんな顔をしていたなと思い出す。強くなった、逞しくなったな、と思っても、ファラにとってリッドが唯一甘えられる存在だということは変わらない。
だって、リッドはいつだって私の気持ちを救い上げてくれる。
リッドと一緒にいたい、その気持ちを変わらないと肯定してくれるリッドはやっぱり優しくて、さっきまでの気まずい空気が嘘のように、その日は一晩中昔話に花が咲いたのだった。
―旅が終わって以降―
また季節が一巡りした。ラシュアンに帰ってきてリッドたちは以前と同じ生活を送っているが、今年のホワイトデーは今までのものといくつか変わったことがある。
ひとつめ、ファラからは他の村人と同様のチョコではなく、特別なチョコを別にもらうようになったこと。
ふたつめ、もう以前のように獲物のお裾分けを持っていかなくても、気軽に渡せるほどお互いに家を行き来していること。
「ファラ、お返しは何がいいんだ?」
そうやって率直に聞いたのは、やはりファラが今一番ほしいものを送りたかったからだ。もう毎年恒例になりつつある質問に、ファラも慣れたのだろう返事はほぼ即答だった。
「ないよ」
あっけらかんとした回答に、思わずリッドは耳を疑って聞き返した。だが、返事は何度聞いても同じである。
「だから、ないよ。ほしいもの」
念を押すようにファラに言われて、逆にリッドは少々ふて腐れた。無欲なのは知ってる、でも幼馴染以上の関係なのだから、こんな時くらい男としては甘えてほしいところだ。すると、クスッと笑う気配がしてファラを伺うと、ごめん、ごめんと謝りながらも嬉しそうに顔を綻ばせていた。今のやり取りの中にいったいどこで笑うところがあるのだろう。
「だって、本当に私がほしいもの、リッドは全部くれたんだもん」
「みんなが幸せでいてほしいってアレか?」
ファラが昔を懐かしむような顔になって、リッドも一緒になって二年前のことを思い出す。と、幾ばくもしないうちに顔を顰めた。今思い出してもあれは、無茶苦茶だったと思う。当時は、旅に出てから日も浅くて、どんどん先に進もうとするファラの心を惹きたくて当時の自分も必死だったのだろうと、今なら思える。
「あれもすごく嬉しかったよ、でもそれだけじゃないんだ。リッドが頑張ってくれたから、みんなが今こうして幸せに暮らしているんだもん。結果的にリッドは、私の願いもかなえてくれたんだなと思って」
気づいたら、抱きしめずにはいられなかった。ファラの息の飲む声が聞こえてきて、それを打ち消そうと出た言葉は色気もへったくれもなかった。
「…俺、そんな殊勝な奴じゃねぇぞ」
お前のために動いただけで、みんなのためになんて考えてなかった、とはまだ口に出しては言えない。ややあってから、ファラもリッドの背に腕を回してきた。
「そうかな?それに、リッドと一緒にいたいって願いもずっと守ってくれてるじゃない」
刹那、慌ててファラに絡めていた腕をほどく。凝視に近いほどファラを見つめるが、ファラは頑なに目を合わせようとはしない。
「…あれって、今でも有効なのかよ?」
「ゆ、有効に決まってるじゃない」
ファラの傷に、弱みに付け入る気はなかった。ただ彼女が涙を流すときにはいつでも肩を貸せる存在でありたがったが、肩を貸すことで特別な存在になろうとしたくはなかった。だから、あの時もファラにとってのハンカチ替わりでいいとリッドは思ったのだ。けど、違う?それはただのハンカチじゃなくて、今でもそう思ってくれるのか?
やがてファラはリッドを真摯に見返すと、両手でリッドの頬を包んだ。
「だって、リッドがほしいものを願う度に叶えてくれるから、私のほしいものなくなっちゃったんだもん」
それにね、とファラがいつになく大人っぽい笑みを浮かべる。
「リッドが私のためにって、一生懸命お返し考えてくれるのが好きなんだ」
お返しはいらないよ、と毎年口癖のように言っていたファラが今年はそんな風に言ってくれるようになった。それが自分たちの関係の変化が伺えて、素直に甘えられているようでリッドには嬉しい。肌にはぎりぎり触れないようにそっと前髪に口付ける。
「なら、今年もそのご要望に応えないとな」
と、少し茶化しながらリッドが言ったのを合図に、二人で微笑みあった。
ホワイトデーは、リッドにとって唯一ファラにお返しができる日だった。
人に与えることを惜しまない彼女に、お返しだと言って彼女に喜んでもらえる日、それがホワイトデーだ。でも、その位置づけも今年で変わった。
みっつめ、ホワイトデー関係なく、ファラのために動いていたことが全部お返しになっていたことに気づいたこと。
あとがき:
ホワイトデー小説、いかがだったでしょうか?
他ジャンルで、バレンタインを時系列に何個もエピソードを連ねて書いてる方がいらしたので、読んでいて面白いなと思いこちらでもホワイトデーに変えて、それを実践してみました。
いくつか時系列にホワイトデー並べて書いてみましたが、やっぱりメインは”幸せでいる”です。それで、その時にリッドが最後に渡したキャンディについても意味を考えていただけると嬉しいです。もちろんそれは、キールからの入れ知恵です。そして、渡す前に一悶着ありました。そしてきっと、レグルスの丘以降の時はリッドがメルディに渡すように逆にキールをけしかけるんだと思います。そんな応酬を二人で繰り広げるくらいなら、さっさと伝えろよって感じですが、リッドは鈍感幼馴染相手に攻めあえぐくらいには頑張っていると思いますよ。それも含めて伝わっていただければ幸いです
最初をすごく余所余所しくしているのは、あくまで『すれ違いが最高潮の時期』と受け取っていただきたく思います。最後の展開ももっといちゃいちゃさせようかと思ってみたのですが、あえて甘さ控えめにしてみました。今回の話はあくまでホワイトデーなので、リッド→ファラを軸にしています。お菓子もただ甘ったるいだけのものよりも、少し苦みがあって甘い方が美味しいですよね。そんなスイーツをイメージしながらところどころに苦みがあるのは今回の仕様だったりします。
最後に、例え毎年義理であっても、リッドからしたら本命からもらうわけだから、さぞ嬉しかったんだろうな。きっとお返しはすごいんだろう、とは思いつつも何を返すかはまったくイメージできませんでした。でもきっと、リッドのことだからファラが一番願っているものをあげるんだろうという、妄想を具現化してみました。まさかこういう形になるとは自分でもびっくりです。
ホワイトデー小説を書くようにきっかけをいただき、背中を押してくれた遊栄様に改めて感謝です。
では、みなさんにとってもホワイトデーが素敵なものとなりますように。
執筆日:2013年3月20日
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